最近こんな別れ話を聞きました。
彼氏が彼女の悪い部分を言わずに我慢してきたものが、ある時に臨界点を越えて、「もー我慢できない。ずっと言わないできたけど、お前のそういうところが嫌いなんだ!」と言ったそうです。
彼女は、「私の嫌なところを言わずに我慢してくれていたのに、その優しさに気付けなかった私が悪い。」と後悔していたそうですが、果たしてこの場合、被害者は彼氏だけなのでしょうか?
実は見方によっては、彼氏さんの方が加害者になっていると言えなくもないのです。
言わないことが心遣いになるのか?
彼氏は彼女に気にくわないところがあったのは事実そうなのでしょう。彼女の方も心当たりがあったようです。それを彼の「優しさ」ゆえに言わずに我慢してきたというわけなのですが、これを安易に優しさと呼んでしまって良いのでしょうか?
恋人同士のコミュニケーションを、ふたりの関係を良好なものにするという目的が前提があるとするならば、彼女の気に入らないところを黙っている、という彼氏の行為は、その目的と真逆の道を進んでいるのではないでしょうか。
おそらくこの彼女は、ふたりの間が「気まずくならないように」彼氏が気をつかっていたとことを優しさと認識しているようでしたが、 彼氏が彼女の悪いところを指摘をしなかった本当の理由は「面倒くさかったから」である可能性があるのです。
彼女の悪いところを指摘して、彼女が不機嫌になるのも面倒くさいし、それによって自分が不快な思いをするのも面倒くさい。だから言わなかったのかもしれないのです。
言わないことは、中長期的に見ると損をする
その証拠に、彼氏は我慢ができなくなった瞬間に、結局言ってしまったわけです。彼氏に本当の優しさがあれば、我慢をすることはしないはずです。彼女の人生のため、ひいてはふたりのために、言わなきゃいけないことを言うことが本当の優しさではないでしょうか。
あるいは、それを指摘する必要がないと思うのであれば、そこを彼女らしさと認め、自分を変えていく方法を選ぶはずです。しかし彼氏は自分が変わらない選択をし、彼女に変わる期待をしたのです。指摘をすることもなく。
彼女からすると「自分の悪いところにも気づけずに、いつのまにか振られてしまっていた」という感覚になってしまいます。言わないことは一見、波が立たずに片方が我慢するだけで済むので、短期的に見るとメリットがあるように思います。
しかし、本当に長続きする関係を築き上げるのであれば、今、この瞬間に「まずいな」と思ったことを口にしないと、どちらかにフラストレーションが溜まり、結局彼氏さんのように爆破するようなことになってしまうのです。
言うことの方が優しさであることがある
めんどくさいことを回避るすために、言わない、のは優しさとは言えません。その人のことを思えばこそ言う、のが優しさであると言えるではないでしょうか。相手に厳しいことを言うのはその瞬間は痛みを伴います。ですが、その痛みこそががふたりの関係を良くするためのきっかけになると言えるのではないでしょうか。