「〇〇くんとは一緒にいるとすごく安心するし、楽しいよ。」
「〇〇ちゃんと一緒にいるの楽だよ。すごく落ち着ける。」
そんなことを言われて「これはイケる!」と思ってイザ告白してみたら「ごめん、そういうのじゃないんだ」「お友達として仲良くして欲しい」と断られた経験ありませんか?その返事を予想だにしていなかった人からすると、「なぜ?どうして自分じゃダメなの?」の質問が頭の中をぐるぐる回ったことだと思います。
この「一緒にいて楽しいのに付き合えるわけじゃない」問題は、数多くの被害者を出してきました。今後、さらなる被害者を出さないためにも、なぜこの問題が起きるのか、どう回避すべきなのか、予防策を広めておきたいと思い、筆をとった次第です。
恋愛と友情の違い
さて、早速ですが読者の皆さんは友情と恋愛の違いをどう定義されていますか?もちろん、その定義は人それぞれですので、明確な「正解」は存在しませんし、現実には友達以上恋人未満の関係も確かに存在します。
これだけ多種多様なセクシャリティが許容されてきた現代にあって、どこからどこまでが友情で、どこからどこまでが恋愛なのか、というグラデーションを定義をすること自体がナンセンスかもしれません。
しかし、同じ「一緒にいて楽しい」と思える関係にあっても、人は無意識的に「友達としてみる相手」と「恋心を抱く相手」とカテゴライズしているのは事実です。そこは何かしらの明確な「差」があるはずなのです。
ではその「差」はどこにあるのか?それは「同質か異質か」の差にあります。
同質なものとつるみ、異質なものと交配する遺伝子
友達になるのは多くの場合「気の合う」人です。自分と考え方や価値観が似ている、同じ趣味趣向を持っているなどの自分との共通点が多い人と、一般的には友達になりたいと思います。わざわざ好んで価値観が真反対の人と友達になろうとする人は少ないでしょう。
一方、恋心を抱く相手となると、同じ価値観を共有することももちろん大事ですが、「自分とは違う何かを持っている」ことも非常に重要な要素になります。
生物の進化の歴史を辿ってみても、生物は本能的に「異種と交わることで、より変化に強い遺伝子を持った子どもを作ろうとしてきた」ことがわかります。交配に結びつくような恋愛感情は、「同じ」個体ではなく「異なる」個体に抱きやすいのです。
友人を作るということはその時代を生き抜くために仲間を作るための行為であり、恋人を作るということは、その先の時代により強い子孫を残すための行為なのです。(※全ての人が「子どもを作るために恋愛をしている」と主張したいわけではありません)
つまり、「楽しさを共有する」目的が違うので選ぶ相手が異なるのです。「楽しい」という感情を紐解くと、友人同士での付き合いの楽しさは、同じもの同士の安心感による楽しさであり、恋人としての関係を期待している楽しさとは、異なるもの同士のスリルや不安定さによる楽しさなのです。
予防策:「一緒にいて楽しい」をどう捉えるか?
この言葉一つで付き合えるか否かを判断するにはあまりにもリスキーですし、実際にその言葉をもってして告白に踏切り成功した例をあまり知りません。
予防策はいたってシンプルで、「一緒にいて楽しい」という言葉を「告白したらイケる」判断基準にしないということ。この言葉は「付き合えるかどうか」に対してのプラスの要素としてではなく、少なくてもマイナスではない要素として捉えるべき言葉なのです。
結論
「一緒にいて楽しい」は、付き合える証拠として扱わない。これが「一緒にいて楽しいのに付き合えるわけじゃない」問題の被害を生み出さないための、一番の予防策なのです。