わたしはバブル時代を過ごしたファイナンシャルプランナーです。みなさん、「仕事=家族を養うためのもの」「仕事=生きていくために必要なお金を稼ぐためのもの」と思ってはいませんか? それは決して間違いではないのですが、「家族を養うためのもの」「生きていくために必要なもの」と義務的なものとして考えてしまうのは、わたしからすると少し寂しく感じてしまうのです。わたしは生きていくために必要なお金を稼ぐために仕事をしているわけではないのです。
バブル時代の話
週に2~3日は美味しいお店めぐり
こんなやり取りは日常茶飯事でした。週に2~3日は、寿司、焼肉、うな重、ヒレカツ定食、天ざるの美味しいお店めぐりの繰り返し。そして、仕事が終わったらどこへ遊びに行くかばかり考えます。ディナーをするのもタクシーで小一万(こいちまん)。焼肉食べるにも、タンの美味しいお店、続いてミノの美味しい店、さらに骨付きカルビの美味しいお店、締めにはケジャンとコムタンの美味しいお店、ジャンル別のハシゴです。
夜遊びを想定した服装で出勤
踊るなら当時はディスコ。ドレスコードのような服装チェックがあり仕事モードのスーツでは入場できません。ディスコに行く日は、ダブルのソフトスーツやブレザーでの出勤で朝から夜遊びを想定した服装でした。
休日は遊び三昧
休日の過ごし方は、メンバー集めてスキーやゴルフ三昧です。なるべく日帰りは避けて前泊か、夜間に出発。「時間をかける麻雀」「G1レースを追いかける競馬」大きな声では言えない、高校野球やサッカーW杯の「トトカルチョ」。ギャンブルは幅広く、小さい勝ちは飲み代に、大きな勝ちは旅行やブランドに化けました。
なんだか、よくわからない言葉もでてきたと思いますが、何か感じるものはありましたか?
バブル時代は「夢多き時代」
バブル経済がはじけて、はや26年。「とかく不況の引き金」「諸悪の根源の代名詞」のようなバブル時代ですが、実は“夢多き時代”でもあったのです。みんな仕事だけではなく、遊びにも楽しみを見つけて、一生懸命愉しむ主義でした。
仕事=楽しい時間を過ごすためのお金を作る手段
仕事は、「生きていくためのお金をもらう会社」ではなく、「楽しい時間を過ごすためのお金を作る手段」でもありました。そして楽しむ毎日に生き生きとしていました。退職金や終身雇用が心安らかに過ごせる要素だったのかもしれません。
楽しいことには、充実した時間や豊かさを感じさせる演出があります。そんな日々に『明るい将来』を夢見ていた人も多かったはずです。あれがバブルでなかったなら……と思う人も多いはずです。しかし、泡と消えた今でも忘れてはいけないと思うものがあります。それは「豊かさを感じること」「夢を描けること」こそが生きがいにつながるのです。大小は関係ありません。
恋人同士や夫婦同士で一度、「楽しい時間を過ごすための仕事」ということを話し合ってみてはいかがですか?